いろいろな面」カテゴリーアーカイブ

音楽の「進歩」ってなんだろう?

音楽史をたどってみると、どうしても「発展」とか「進化」とか、そんな言葉がついてまわる。まるで、むかしの音楽は単純で未熟で、時代が進むにつれてどんどん洗練されていったかのような書き方がされることがある。でも、音楽って本当に「進歩」しているんだろうか?

たとえば、グレゴリオ聖歌からルネサンスの多声音楽、そこからバロック、古典派、さらにロマン派へ。こうした流れは確かにある。でも、それを「進化」と呼んでしまっていいのかどうかは、ちょっと考えたほうがいい気がする。なぜなら、その見方は19世紀の進化論の影響を強く受けているから。

19世紀といえば、ダーウィンの進化論が世をおおきくゆるがした時代だ。「生物が単純なものから複雑なものへと発展していくなら、文化もそうなんじゃないか?」そんな発想が、歴史学や音楽学にも持ち込まれた。そして、音楽はまるで一本の階段を上るように、より高度なものへと「進歩」している、という考え方が広まった。

でも、ちょっとまってほしい。バッハとワーグナーをくらべて、「ワーグナーのほうが進化した音楽だから上位だ」と言えるだろうか? そんなことはない。バッハはバッハ、ワーグナーはワーグナー。それぞれ違う方向に向かっているだけだ。ピタゴラスの数学とアインシュタインの相対性理論をくらべて、「アインシュタインのほうが進歩しているから偉い」なんて言わないのと同じように。

音楽はどの時代も、それぞれの美学や価値観のもとで成立している。バロックは「対位法と機能和声のバランス」をさがし求め、、古典派は「形式の美」を追求した。ロマン派は「感情の表現」を前面に出したし、20世紀は「新しい響きの探求」をテーマにした。背景のことなる音楽を、「より複雑だから進歩した」とか、「より自由だから高度だ」とか、そういう単純な話にしてしまうのは乱ぼうすぎる気がする。

じつは、音楽に限らず、「むかしのものは未熟で、新しいものは進歩している」という考え方自体、いまでもけっこう根づよい。たとえば、「古いスマホより新しいスマホのほうが優れている」とか、「最新のテクノロジーを使った音楽こそが、過去の音楽よりも先を行っている」とか。でも、それってたんなる時代の流れであって、「どちらが上か」という話ではないはず。

ぼく自身、これまで音楽を「変化した」と思うことはあっても、「進歩した」とは考えたことがない。バッハもドビュッシーもシュトックハウゼンも、それぞれの時代に、それぞれの音楽がある。ただそれだけのことだ。

もちろん、歴史の流れをざっくり説明するときに、「むかしの音楽は単純で、だんだん複雑になってきた」という語り口を使うことはある。たしかに、技術的な面ではそういう側面もあるかもしれない。でも、それを「向上」とか「進歩」という言葉でくくってしまうと、そこにある多様性や価値観の違いを見落としてしまう。音楽は一本の道を歩んでいるわけじゃない。もっと広がりのあるものだ。

歴史を「進歩」としてではなく、「変化」として見る。そんな視点のほうが、音楽の本質をつかめるような気がするのだけど、どうだろう?